大町桂月文学碑


 
 
 
大町桂月 文学碑

 明治、大正期の文人大町桂月は大正11年11月三厩村に来遊し、「龍飛岬」の紀行文を著わす。来村75年にあたり記念文学碑を建立する。

 平成9年7月吉日 三厩村町 柳谷光雄

 
龍飛岬

 概して我国の太平洋に面する海岸は砂浜の連続なるが、日本海に面する海岸は断崖の連続也。その日本海に面する本州の海岸の北に尽きむとする処、小泊岬よりその特徴を発揮して、その全く尽くる処、茲に龍飛岬となりて、北に突出す。頂上は草の山にて、望楼の跡あり、手を伸ばさば、北海道の山もつかみ得られむとす。福山の市街も判然と見ゆ。後を見れば、高原的の低山波涛の如くに連り、右に小泊岬、左に恐山半島、四方の眺望開けたり。見下す千仭の断崖の下、一大磐石横はり、中間に一条の吉井水道ありて、偉大なる巌の帯島に連る。西風強き日とて、巨涛日本海より押寄せ、怒って龍飛岬を打ち、帯島を打ち、幾個の小岩島を一と呑みにす。余波大盤石の上に躍る。津軽海峡の方よりも小波押寄せて、日本海の波と闘ふ。龍飛岬下の大盤石は、唯西波と東波との戦場也。龍飛岬は常に波高きが、最も高き時は45丈に及ぶと聞く。余が遊びし時は12丈の高さなりしが、それにしても壮観也。殊に大盤石の上の波と波との戦闘は、天下無敵の奇観也。

陸奥の海岸線より 大正11年